駅伝ランナーのように

このブログの「北村君開業祝い挨拶」(2018.8.15)のなかで、「良き友人、自分が尊敬できる目標となれる切磋琢磨できる、そんな友人をもて」と言ったわけですが、その時に古くからの2人の友人の顔が浮かんでいました。
一人はU会計士(「堀川戎(U会計士のこと)」(2016.1.11))であり、今一人はO氏である。

私が開業して間もないころに、ある人からO氏の紹介をうけた。
O氏の勤務している会社は、オーナー会社でもなく、上場会社ではないものの社会的な存在となっている会社であり、したがって、彼は純粋に一サラリーマンの立場でした。
当時、彼はまだ30代の半ばで私より少し年長でしたが、同世代ということもあり、紹介をうけた際一緒にビールをのみに行って、最初から打ち解けた話をしました。
彼が謙虚で、相手の立場を考える人でありながら、仕事に対する真摯な考えをもっていることはすぐにわかり、きっとこれから長いつきあいになるな、そう思ったことを覚えています。実際そのあと30年近く、なにかの折につけ相談や近況報告を重ねてきました。

度々会って話をするうちに、人を見る目の確かさ、モラルの高さにも、何度も驚かされたものです。また、今も鮮明に覚えていますが、私の事務所内であるトラブルがあり、その際、彼が連日足を運んでくれて、ある意味私を慰めてくれたこともありました。ただ近年は忙しくなり、ここ2~3年は年に数回会う程度です。

彼は会社内で順調に管理職・取締役と昇進を重ね数年前より会社でNo2の立場となりました。役員になったあとも、彼はまったく変わらず、2人で飲みにいくところは私の事務所のあるビルのお好み焼き屋さんが定番です。
近況報告の後のここ何年かの話題のひとつは、彼が会社の社長の地位につくことに関するもので、私も冗談に「早よ、社長になりよ」というのが決まり文句でした。そのたびに、彼は迷惑そうに「俺はならんよ、もう楽もしたいし、次の役員定年を迎えれば退任する」そう言うばかりでした。私からみても、それが彼の生き方にも合っており、そのときに私も第一線から退いていれば、平日ゴルフでもしますか、などと応じていました。

ところで、先々週になりますが、彼の勤務している会社の方が見えられて「実は、Oが社長となりました」そういって、就任挨拶状をもってこられたのです。
就任の経緯は、現社長が何度か入院を繰返し、事実上執務が不可能となり、臨時取締役会でO氏が選ばれたというのです。
電話をして、「おめでとう。重責ですがこうなった限りは頑張って」そう激励しました。彼も、すでに腹もかたまったのでしょう、言葉すくなく「落ち着いたら、一度話しにいくわ、もう引き受けざるを得ないので…」

彼の会社はある意味、成熟産業でもありその分経営環境は厳しく、そのかじ取りは容易でないことは想像できます。また社長とNo2とではまったく違う任務でしょう。
電話した際に、彼もきっとラスト・マンの覚悟(本ブログ「原因は人だ」(2015.5.23)を参照)をもって引き受けたにちがいない、そう思うと単純におめでとうと祝福するのではなく、その覚悟に改めて敬意をもちました。
ズシリと重いバトンを引き受けて走る駅伝のランナーのような心持ではないかと想像します。彼のことです、次のランナーに引き継ぐまでの区間、全力を尽くすでしょう。

(2018.9.29追記)
9.27の日本経済新聞の夕刊の「私のリーダー論」にオリックスの井上社長が後継者の条件として「クリーンで謙虚、この2つ。」そう述べています。
そういうと、この言葉はO氏の口癖でもあったことをふと思い出しました。

投稿者:春田 健2018年9月20日