昨日、ドリームという映画をみに行きました。
60年代に当時のソ連に宇宙開発競争で遅れを取っていたアメリカのNASAを舞台に、3人の黒人の女性が、人種差別が色濃くのこっている社会のなかで、自分の才能を認めさせ尊敬を勝ち取っていく、それを社会運動のなかで行うのではなく、職場の仕事で周囲が認めざるを得ないような実績をあげていくというストリーです。
人種差別ということから離れても、もっと身近にある現実の規制された枠組み(たとえば一定の序列、思考、慣習とか)のなかで、そのことがおかしいと気づかせることは本当に難しいことと思います。
人は今ある制度に慣れてしまえば、そのなかに安住してその価値軸なかで生きていくのが楽だからです。
それに風穴をあける、変革する、おかしなことだと気付かせる、価値の外にある自分を認めさせる、それは具体的かつ実証的な成果の積重ねを必要とするものです。
そんなことを思いながら、3人の黒人女性の写真(モデルになった本人たち、ほんとうに美しくいい表情をしています)が流れる映画のエンディングをみていました。
人種差別は現代においては「なにをかいわん」であるし、論外の話です。しかし、昨日の朝刊に、米国のワールドシリーズでドジャースのダルビッシュ投手に対して、対戦相手の選手がアジア人を侮蔑するしぐさをしたと言う記事がありました。
ダルビッシュのコメントが秀逸である。「大リーグ機構がちゃんとした処置をしないといけない。また完全な人間はいない、いろんな人がこのことから学べると思う。」
言うべきことを感情的にならず過不足なく言っています。彼もまた、実績で尊敬を勝ち取っていくことでしょう。