新聞に小さく、京都・久美浜に画家安野光雅の作品を飾った美術館ができ、設計は安藤忠雄という記事が掲載されており、先日の休日に行ってきた。
小ぶりの美術館で絵をみたあと、売店に立ち寄り「絵のある自伝」をめくるとある記憶がよみがえる。購入した本のあとがきのようなものを読むとこの本は2011年2月に連載された日本経済新聞の「私の履歴書」ベースに加筆したとあります。当時その連載を毎日読んでいたのですが、その日は私のお客様の結婚式があって、私も招待されていました。
その当日の連載に、次のような逸話が紹介されていたのです。
「戦後すぐのころ、わたしは山口県徳山市もあるバス停でバスを待っていた。そのころのバスは決まって満員で、乗れる保証はなかった、
そこへ朝鮮人の老婆がやってきた。「バスキタカ」という。わたしは聞き覚えの朝鮮語で「モーリーヨ」といった。発音は定かではないが、知らないという意味である。老婆は眼を輝かして「ニガチョウセンサリミヤ」といった。おまえは朝鮮人だったのか、という意味である。彼女はわたしに、
「ヒトリダマリノミチナガイ フタリハナシノミチミジカイ」といった。このことばのいうところは敢えて解説しないことにするが、わたしはそれまでこのように美しいことばを聞いたことがないし、これからも聞かないであろう。」
ヒトリダマリノミチナガイ フタリハナシノミチミジカイ