同行二人

 5月3日に高野山にいった。高野山のお寺が顧問先であり決算の打合せのためである。高野山は開創1200年の大法会が行われている最中でもあり、ゴールデンウイークと重なり山内は大混雑であった。
 その日は10時過ぎに難波発の急行に乗るが、前の席に白衣の遍路装束の女性が座る。ザックと編笠と金剛杖を持っている。笠には「同行二人」と書かれている。
 同行二人とはお遍路をしているとき、いつもお大師様(弘法大師空海)と共にあるという意味であるが、なにげに反芻していると、改めていい言葉であることに気付く。お大師様が遍路のひとりひとりに寄り添い一緒に歩いている、そんな風景を思い描くと気持ちが暖かくなる。四国を車で走っていると、お遍路さんを見かけることがあるが、彼ら彼女らはお大師様と「同行二人」で歩いていたのですね。
 そしてそれは(勝手な解釈かもしれませんが)日常生活も「同行二人」ということであり、死に至る瞬間まで(あるいは死そのもの)もそうなんでしょう。
 お断りしておくが私は真言宗の信者ではなく、今後も改宗することもないと思いますが、宗教の一つ形(理想)を表している言葉のように感じました。

 厚かましくこじつけていえば、私もまた顧客と「同行二人」となれればと思うのである。もちろん、私はお大師様のような立場ではなく、一伴走者という意味です。

 下記の写真は極楽橋から高野山へのケーブルです。まるで通勤ラッシュなみでした。

同行二人

投稿者:春田 健2015年5月13日