「老い」ボーヴォワール

先日NHKのTV番組、100分deで名著ボーヴォワール「老い」(全4回)というのを見る。上野千鶴子がボーヴォワールの「老い」を4回にわたって、伊集院光とNHKのアナウンサーの2名との対話形式でその内容を紹介していくというものである。
老いは人間だれにでも等しく訪れるし、ある意味抗うことのできない衰えのプロセスである。老いに対する世相や、過去の著名人を例にとり個人としてどう向き合ってきたか、また性の問題や高齢者を社会がどう受け入れるか、という点について様々紹介している。

社会制度のことはさておき、私自身にとっても、また家族を見渡したときにも、この「現実」を直視しなければならない。
老いは、恥ずべきことでもなく、誇ることでもない。また、年齢を重ねることが人間性の成熟であるとか達観の境地とも違うような気もする。個々人の経験値の積み重ねに今があり、そしてその今に老いがあるというのが実際のところだ。

この社会のなかで、なお老いた自分が求められる立場を維持することは、「今」をやはり努力しなければならないにちがいない。過去に築き上げたきた自分なりの財産はもちろんあるが、それを食いつぶしているだけであってはならない。そんなものに頼っていれば、あっという間に消失してしまう。今の努力の有り様によって、過去の財産の輝きもあるというものだ。自分のポジションをよく考えながら、自分の役割を果たしていきたい。

一方でいずれやってくる社会から必要とされなく自分、身体能力も満足でなくなる自分を想定しておく必要もあるだろう。また、身近な人との別れもあるにちがいない。そういったすべてについて、自覚しながら、心も生活環境も準備だけは始めなければならない。要は「老い」に対してリアリストでなければならないのだ。

最終回の番組(7.19)は録画でみたが、最後に上野千鶴子が「機嫌よく老いていきましょうね」いう言葉に、本当にそうありたいと思わずにいられない。

投稿者:春田 健2021年7月23日