先に紹介した本から、妙に気持ちが残る一節を。
「兄からは連日ラインがきていた。ほとんどは『必ず治ります』という短いものだったが、なによりそれが心強かった。ヒマな時にはケイタイを手にして、私はしげしげとそのラインを眺めるのだっだ。」
また、回復期に亡くなった師匠である故米長邦雄の自宅を訪問して、奥様に病気の経過を報告した際、将棋盤と駒を預かったという。いずれも師匠の愛用の品であり、駒の箱書きをみると昭和34年とあり、米長がプロ棋士となったお祝いでもらったものだという。
「家に帰ってつらつら考えた。昭和34年ということは、私が生まれる十一年前である。自分が生まれる前にも心血を注いで将棋を指した人がいて、やがて病気になり死んでいく。そしてまた、歴史は繰り返し、私が棋士になった後に生まれた俊英が大勢いて、彼らが活躍して、私が病気になっていく。・・・物事は順繰りなんだと思った。」